「本当はこうすればいいなんて本心でわかってるんだよ、、、

でも環境が許してくれない
環境はこうだったらすぐにでも行動できるんだよな~」

うん、、わかる。

よく、わかる。

僕もそうだったから
頭でわかっていても行動ができないんだよ。

でも、結果的に行動してしまっている時って
頭で考えてないことが多い。

覚悟するということではなく
自然と行動する感じ。
それが、結果的に現象として「覚悟」しているという言葉を当てはめている感じ

本心と違う事をやることに限界を感じて
自分が崩壊しそうになる手前で
極みに達して
自分で自分をコントロールすることが出来なくて
個人的な自分を守ろうと意識しているエネルギーの使い方を降参する

なにか環境や人が自分を制限していたという思いが吹っ飛んで
「そんなことのために僕はこの世に生を受けたのではない、自分は魂から望んだことをするためだ。自分が生まれてきて唯一無二のこの個性をこの世の中に提供したい。全体の為に命を燃やしたい」と

全体が心から喜んでくれることは、
自分が魂から喜んでいる自分であること

そう心の奥にあることを強く感じる。

そして、自我や収縮したエネルギー、マイナス思考など自意識過剰さがどこかに行ってしまう。

ただただ、平気な顔して頭で考える余地もなく
その時に魂から望んでいる行動を起こす。

これは自分でコントロールしているというよりは
だれかがコントロールしているんじゃないかと思うような感覚

行動は運命的なタイミングなのか
すでに生まれてきた時からシナリオがあって
その通りにただ生かされているだけなのか

そんな感覚ですらある。

自分で人生をクリエイト、人生のシナリオを書いていくという感覚もありながら
すでにどのように人生をクリエイトしていくかさえも決まっている事なんじゃないかっていう感覚になっていたり。

そのタイミングもすべて
一瞬たりとも早くなく遅くなく絶妙なタイミングで

だから、、、こういう言い方になってしまうのかな~
「委ねる」

でもね、やっぱり自意識過剰の時は委ねられない
そしてその場を自分でなんとかしようと
コントロールしようともがき苦しむ。

いろんなこと試す。

本読んだり、嘆いたり、人にあって気づきをもらったり、
なにもできなくて閉じこもっていたり

でも、そうこうしている間に
また時がくれば次の動きをしている。
自然とね

こころのどこかで
絶対的な信頼があるのかもしれない。

自分に自信がないというのは
小さいころから今までのいろんな苦い経験で傷ついてきた記憶が作った幻想で
いままでべたべたくっつけてきた自分なりの観念だったり制限だったりを採用している時

でも、そのメッキのようなものは一時的なもの
人生劇場でいろんな体験をして感覚を味わうために用意されたスパイスみたいなもの

そのメッキをすべてはがした本当の自分は
絶対的な信頼がある。

そして、周りの人も同じように
その根っこ信頼しているし、
いくら悩んでいる人をみても
本当のあなたは、自分のこと絶対的な信頼があるの知ってるよってことになる。

頭では理解できるけど行動できないことを嘆く必要はないのかもね。
本当は

でも嘆きたいなら嘆いていいかもね
そのうち
嘆くことに疲れて
「もう、本当に自分が望んでいることはこっちしかないよねー」っていうタイミングみたいのがくると思うから

そのときまで
その嘆きを味わってもいいかもね。